「組織の線引きにとらわれず、自分の足で立ち、ストレスのない生き方を手に入れる。」
はじめまして。当ブログをご訪問いただき、ありがとうございます。
かつての私は、誰もが知る大手通信キャリアに新卒入社し、その後大手シンクタンク(野村総合研究所)へ転職。30代前半で年収1,000万円に到達するという、一見すると「絵に描いたような順風満帆なキャリア」を歩んでいました。
しかし、その裏側にあったのは、思考停止の学生時代に突きつけられた現実、幾度もの冷や汗、戦力外通告、上司ガチャの失敗、そして連日の胃痛という泥臭い挫折の連続でした。
現在はそれらのキャリアをすべて手放し、大学時代の同期3人でD2C(EC)スタートアップを起業。「M&AによるExit」を明確なゴールに掲げ、ストレスフリーかつ泥臭く日々を駆け抜けています。
本記事では、私のこれまでの歩みと、なぜ安定を捨てて起業の道を選んだのか、そしてこのブログで何をお伝えしていきたいのかを綴ります。
基本スペック(略歴)
- 年齢:30代中盤
- 学歴:上智大学 理工学部 卒業
- 職歴:
- 大手通信キャリア(約10年勤務/プレセールスSE ➔ インフラエンジニア)
- 野村総合研究所(NRI)(中途入社/年収1,000万円達成)
- D2Cスタートアップ(現職/役員・経営陣)
- 資産運用:ポートフォリオの約50%を高配当株で運用中
- 目標:事業の成長とM&AによるExitの達成
「有名大に入れば安泰」という過信と、甘さを突きつけられた就職活動
私の原点を振り返ると、お世辞にも「志が高い学生」ではありませんでした。
遡ること、高校時代の話を少しお話しします。高校は公立高校に進学し、勉強と部活をそこそこにこなす平均的な生活を送っていました。当時、クラスメイトにオタクがちらほらいた影響で深夜アニメに傾倒する日々を過ごします。当時一番好きなアニメは『コードギアス』でした。こうしてアニメを見漁る青春時代を過ごします。
そんな中、大学受験の時期が訪れる訳ですが、5科目を網羅する必要がある国立は早々に諦め、私立一本に集中的にターゲットを絞りました。当時は漠然と「都内の難関私大(いわゆる早慶上理)」に行けたら格好がつくなと考えており、最終的に縁あって上智大学へと進学します。
しかし、真の迷走はここから始まることに。
大学では理系学部に所属していたため、実験や講義、サークルやアルバイトに追われつつも、何も考えずにただ日々を消化する典型的な大学生でした。
その甘さが牙をむいたのが、就職活動です。
「難関大学に入ったのだから、放っておいても良い会社に入れるだろう」
そんな浅はかな過信を抱いたまま、周りに流されるように就活をスタート。ノープランのまま有名大手企業を中心に片っ端からエントリーシートを提出しましたが、当然ながら結果は全滅。連日のように届く「お祈りメール」の山を前にして、己の無知と準備不足を生まれて初めて痛感し、激しい後悔に苛まれました。
最終的に、ギリギリのところで私を拾ってくれた大手通信会社になんとか滑り込み、私の社会人生活は幕を開けました。
【余談:今振り返る、当時の浅はかさ】
理系だったこともあり大学院へ進学する選択肢もありましたが、研究職を目指すつもりもなかった私は、「就職浪人」という謎の選択肢を大真面目に検討していました。冷静に考えれば、大学院に進んだ方が遥かに選択肢が広がるのは明白です。何を狂ったか、当時は本屋で『20代のお金の教科書』を購入し、「これで周りに差をつけてやる」と意気込んでいました。視野が狭く、世の中を何も分かっていなかった若気の至りとして、今では懐かしい思い出です(笑)。
知識ゼロで冷や汗をかき続けた「プレセールスSE」時代
なんとか滑り込んだ大手通信キャリアで、最初に配属されたのは「プレセールスSE」というポジションでした。業界ではない人は聞き馴染みのない言葉だと思いますが、かんたんに説明すると、クライアント先に営業と一緒に同行し、技術的な側面から案件をサポートする「技術営業」と呼ばれるような役割です。
しかし当時の私は、エンジニア経験もITの専門知識も一切ない状態。
対峙する相手は、企業のIT部門を仕切るプロフェッショナルたちです。 そのため、当然提案の場において一歩深い質問をされれば答えに詰まり、事前の「付け焼き刃の知識武装」では太刀打ちできない恐怖と戦う毎日。訪問のたびに背中を嫌な汗が伝うような苦行の連続でした。
入社後の3年間は、ひたすら不安と向き合いながらPowerPointで提案書を作成し続ける日々を過ごしました。
インフラエンジニアへの転身、
「現場で通用する本物の技術スキルを身につけたい」
その強い思いから、社内のジョブポスティング制度を利用して設計構築を担うインフラエンジニアの部署へ異動を果たします。
そこからの7年間は、大手企業のネットワークやクラウドインフラの設計・構築に没頭。メンバーからスタートし、PL(プロジェクトリーダー)、PM(プロジェクトマネージャー)として数々のプロジェクトを完遂させていきました。
この7年間がインフフラエンジニアという職種において、自分はやっていけるという自信にも繋がりました。
マネーリテラシーへの開眼と、株式投資との出会い
本業で疾風怒濤の日々を送る一方、2019年頃に私の人生のもう一つの大きな転機が訪れます。それが「お金の勉強(マネーリテラシー)」と「株式投資」との出会いでした。
それまでの私は、会社で出世することが裕福になる一つの方法と信じ込み。仕事のみに邁進していたため、株を買うことを考えたことするらありませんでした。
当時、実家暮らしから一人暮らしを検討し始めた私は、情報収集のためにYouTubeを見る中で「両学長 リベラルアーツ大学」というチャンネルに巡り合います。 損をしない賃貸物件の選び方など、目から鱗の知恵を学ぶうちに、私のお金に対する意識は一気に引き上げられていきました。
そんな中、2020年に世界を襲ったコロナショック。 暴落する市場を前に、両学長の「今は絶好のバーゲンセールだ」という言葉を鵜呑みにし、慌てて証券口座を開設。推奨されていた銘柄を片っ端から買い漁りました。
結果としてこの参入タイミングが奇跡的なまでにドンピシャとなり、数年後には保有銘柄の株価が軒並み上昇。本業の傍ら、割安な銘柄を探しては投資する日々がスタートします。
さらに投資を深める中で出会ったのが、「三菱サラリーマン(穂高唯希)」氏の存在でした。 彼の思想に強く影響を受け、私の投資スタイルは配当金(不労所得)を重視する「高配当株投資」へとシフトしていきます。
現在もポートフォリオの約半分を高配当株が占めており、この時築き始めた資産形成が、後に大手を離れる際の大切な「精神的セーフティネット」となってくれました。
「戦力外通告」からのニートを踏まえ、NRIで到達した「年収1,000万円」
順順調に見えたエンジニア生活の果てに、思いもよらぬ事態が訪れます。 詳細は差し控えますが、とある事情により会社を離れざるを得なくなり、事実上の「戦力外通告(クビ)」を経験することとなったのです。
1社目で突然訪れた無職(ニート)生活。 ただし、どこか焦りはありませんでした。なぜかと問われると、3年間のプリセールスSEの経験、7年間のITインフラのエンジニア経験がITインフラ領域はでは自分はやっていける、その辺のSEよりかは経験だけはしてきたという自負があったため、この領域であれば、声をかけてくれる会社はあるだろうという慢心と、当時の転職市場は売り手市場であったという背景もあり、なんとかなるだろう精神で落ち込むこともなかったのが正直なところです。
意図した訳ではなかったですが、せっかく手に入れた人生の夏休み。調べてみると失業保険ももらえるようだったので、1ヶ月くらいはニート生活を満喫することに。
そんなこんなで人生の夏休みを満喫ししつ、一念発起して転職活動を真剣に取り組み始めます。
転職の軸は「年収アップ」と「新領域へのチャレンジ」という2点を掲げて会社を選定していました。
何社か内定をいただきましたが、結果、大手シンクタンクである野村総合研究所(NRI)へ入社することに。 転職を果たし、30代前半にして目標としていた年収1,000万円の大台に乗せることができました。
新卒における就職活動で苦戦し、1社目で突如クビ同然となった男が、傍から見れば「勝ち組」のキャリアへ返り咲いた瞬間でした。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。
身体の異変を感じ、退職を決意
NRIに転職して以降、私を待ち受けていたのは激しい「上司ガチャの失敗」でした。
1社目の通信キャリア時代にも、幾多のトラブル対応や過度な残業をこなしてきた自負があり、メンタル面の耐性には自信がありました。しかし、慢性的な胃痛に耐えながら耐え忍ぶ日々は、確実に私の心を削り取っていたようです。
とある日の通勤途中、イヤホンからアニメ『ONE PIECE』のオープニングテーマ「ココロのちず」が流れてきた時のことです。
「大丈夫!さぁ 前に 進もう太陽をいつも胸に 繋いだ手 伝わるPower 願いをつかまえようよ」と出だしの歌詞を聴いた瞬間、理由は自分でも分からないまま、目から自然と涙がこぼれました。 自分の中でピンと張り詰めていた心が、限界を迎えてプツリと切れた瞬間でした。
「もう、ここにしがみつく必要はない」
入社から1年4ヶ月。私は高年収の肩書を捨て、退職を決意しました。
同期からの誘い、起業という新たな道へ
退職を決めた当初は、起業など露ほども考えておらず、事業会社の情報システム部門へ転職しようと活動していました。
そんな折、大学時代の同期から一通の誘いを受けます。 「一緒に事業の立ち上げに参画しないか?」
年収1,000万円を捨ててスタートアップに飛び込むことは、一見すると無謀な挑戦に見えるかもしれません。しかし、じっくりと思いを巡らせた末、私は同期たちとともに歩む道(起業の道)を選択しました。
このブログで伝えていきたいこと
大手の安定と高年収を捨て、泥臭いスタートアップの世界に身を置いたことで、明確に見えてきたことがあります。
- キャリアの選択肢は無限にある(就活で失敗しても、職を失っても、人生は何度でもやり直せる)
- 「ストレスのない働き方」は、お金以上に価値がある(大手企業で働くことだけが正解ではない)
- スタートアップの現実は、決して華やかではない(華やかなのは圧倒的に大手企業。ベンチャーの現場は地道で泥臭い作業の連続)
現在は、かつての胃痛や重圧から解放され、非常にストレスの少ない環境で、同期たちと前を向いて事業に邁進できています。
当ブログでは、華飾された成功美談ではなく、D2C(EC)事業構築のリアルなノウハウ、スタートアップの生々しい成長プロセス、そして目標である「M&A Exit」に向けた軌跡をありのままに発信していきます。
今のキャリアや働き方に葛藤を抱えている方々にとって、当ブログが新たな一歩を踏み出すための小さな「きっかけ」となれば幸いです。

